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たまたま会談Vol.06

〜ブラウニー株式会社 城山 憲明さん〜 (1/2)

地域の中で仕事が自然発生する仕組みが作れればいい。物流が地域にできることは何か? に、これからもビジネスアイデアを出し続けます。

軽四自動車一台からの出発
物流業者〜“考える物流業者”〜物流サービス業へ

玉谷本日はお時間を取っていただいて、誠にありがとうございます。

城山こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

玉谷もともと、城山さんは軽四自動車で運送業をされていたとお聞きしていますが?

城山ええ。当時、親の手伝いで建築会社に勤めていましたが、いろいろあって世の中の厳しさを体験しようと独立しました。何の事業をしようかと考えていたとき、当時の中曽根首相が「これからは物流がいい」ということをテレビで言っていまして、軽四自動車ならば100万円程度で買えるなと、軽貨物事業を選択しました。

玉谷通常、軽貨物運送業というと、加盟金を払って大手から仕事を請け負うというが多いですよね。

城山当初ある大手の会社に加盟しました。加盟するまでは毎日のように電話があったのですが、加盟金として200万円支払った途端に全く連絡がこなくなり、3ヶ月たっても仕事がない状態が続いたんです。仕方がないので、佐川急便様へ飛び込み営業に行き、毎日毎日仕事がもらえるのを待っていると、5日目くらいに佐川急便の下請け業者の社長から声をかけていただきました。結婚したばかりでしたので「なんでもやります!」と、1個200円くらいの宅配の仕事を任せていただきました。しかし頑張って配達しましたが不慣れな事もあり、売り上げは一月5万円程度です。奥さんにどうしよう、と訊くと「がんばって」といわれ、私も「やりかけたことだし続けよう」と。

城山 憲明

玉谷それは大変でしたね。

城山その後、売上は上がっていきましたが、このやり方だとMAX60万円以上は稼げないなと思っていました。そんなとき、お弁当屋さんから「弁当の配達をやらないか」と声をかけていただきましたが、仕事も順調に増えていたのでチャンスだと思い、人を雇って受注することにしました。ハローワークからの紹介でやってきたのは、自分の母親と同じ年の方です。この方にお弁当を運ぶ仕事をしてもらいました。この方が「当たり」でした。仕事を覚えるのは遅かったのですが、それはそれは大変働く方でした。
それからは仕事がどんどん順調に増えて、仕事を始めて3年目にトラックを13台に増やすことができました。また、実際に稼働しているのは5時間なので、これはもったいないと思い、日通航空様からも仕事を貰うことにしました。朝、空港から荷物を運び、その後、お弁当配達や佐川急便の仕事をすることにしました。
そして、さらに配達員が20〜30人に増え、仕事もたくさん入ってくるようになりました。お客さんの会社にいくたび、こんなことしていますよ、というような手描きのチラシをつくって渡しているうちに、大手家電メーカーなど当時の私からは信じられないような大手からも声をかけていただけるようになりました。

城山 憲明

玉谷「考える貨物業者さん」というか、アイデアマンですよね。

城山一万八千円ぽっきりの引越し便など、どこもやっていないような企画を考えてチラシを10万部くらい印刷して集客していきました。今、ブラウニーでやっていることと同じような業務を始めたのがこのころです。会員を集めて健康野菜を定期的に宅配したり、お客さんの要望に応えてほしいものを買ってきてあげる買物代行サービスを行ないました。

玉谷その姿勢がすばらしいですね。

城山配達をしているうちに業者の方達と仲良くなっていくので、当時、市場にもたくさん車をいれていた事もあり、そこの社長とも仲良くなって、「商品を安く仕入れられる」と考えたり、ある時は京都の酒販グループと知り合い、京都で事業を立ち上げ、一年間程「新たな物流の可能性について」の実験を行いました。そこである程度のノウハウを構築しながら、御用聞きサービスを展開しました。地域マップを作って、そこに登録しているお店の商品の宅配なども始めました。面白かったのは花屋、ケーキ屋、酒屋、お惣菜屋、全部まとめて1万円で商品を買ってくるという誕生日プランで、なかなかの人気でした。

玉谷自分のアイデアを形にして、ビジネスになるかならないかを実験されていたのですね。

城山しかし実験すればするほど赤字も増えました。そのとき、大手商社キャピタルの取締役の方に興味を持っていただき、ありとあらゆるところを紹介してもらいました。

玉谷いわゆる、ベンチャーキャピタルですね。

城山その中に大手商社系の食品卸社長がいらっしゃいました。その社長に気に入っていただき合同で新しい法人を設立し1年ほど事業をしました。

玉谷事業は好調だったのですか?

城山 憲明

城山実は、新しい事業の立ち上げに注力していた間、広島の会社に対して目が行き届かなくなり傾きかけたので、東京からの事業撤退を悩んでる最中に広島の会社が倒産してしまい、結果的に東京の事業も手放してしまう事になりました。
この結果、自分には人を雇う会社の代表としてやっていくよりも、新しい事を考えて人の為に役立てる能力の方が向いているのではないかと思うようになりました。

玉谷実は私もそのタイプだと思っています。(笑)

城山自分ができるのに人ができないのを見ると、なんで?と思ってしまうんですよね、トップには向いていません。

玉谷初めてお会いしたときにそのお話をしたので、共通の認識なんですよ。

城山でも、これで楽になりました。私はブラウニーの取締役ですが、新たに2人のパートナーに協力してもらい、主に事業の開発と営業面に専念する事にしました。

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<今回の会談相手>

ブラウニー株式会社
取締役
城山 憲明さん
城山 憲明


ブラウニー株式会社

■本社
広島県広島市南区段原3丁目5-3

■設立
2010年4月1日

■資本金
650万

■従業員数
3名