たまたまの出会いがビジネスのチャンス、ビジネスネットワークたまたま会

たまたま会談> Vol.09 Vol.08 Vol.07 Vol.06 Vol.05 Vol.04 Vol.03 Vol.02 

たまたま会談Vol.09

〜有限会社 スパーク マーケティング本部長 浅野泰伸さん〜 (1/2)

幅広い人脈と、豊富なビジネス経験をいかしていただき、頼もしいビジネスパートナーとして期待。ニコイチペアで、共に歩んでいく浅野 泰伸さんにお話を伺いました。

海外を飛び回り、幅広い人脈を作ったビジネスマン時代

玉谷浅野さんは僕にはないものを、たくさん持ってらっしゃいますよね。実に幅広い人脈をお持ちで、さまざまな経験もしておられるので、私としても非常に頼もしいビジネスパートナーとして期待しております。

浅野いえいえ、とんでもない。私こそ、玉谷さんを師匠として心から尊敬しています。一緒にお仕事させていただくことができて、本当に幸せです。

玉谷いやぁ、それは恐縮ですね。マーケティング本部長という名刺を浅野さんにお作りして、共にビジネスをやっていくお仲間ということで、今回はご紹介かたがたいろいろお話していただければと思います。まず、これまでの経緯なのですが、もともと浅野さんは大手飲料メーカーの一族だそうですね。

浅野ええ、そのため、就職をする時は一族系に行くかどうかで迷いましたね。大学時代は公認会計士の勉強をしていたのですが、特待生だったこともあって、結局大学の推薦である都市銀行に就職しました。ところが、その入行式の日に上司からひんしゅくを買いましてね(笑)。銀行の入口で、ガードマンに止められてしまったんです。なにしろ茶髪にピアスで、ブーツまで履いていましたから。早速「君は銀行には向いていないかもしれないね」ということで、銀行のグループ会社に出向になりました。今はエヌオーイーという名称になっています。

玉谷浅野さんらしいというか、ユニークなお人柄は昔からだったんですね(笑)。エヌオーイーは、国内の企業の渡航関係ではナンバーワンの会社ですよね。そこでは、どのようなお仕事をしていましたか?

浅野企業内の渡航業務手続きをするのが、主な仕事です。省庁の先生方が行かれる視察旅行の手続きとか、大企業の社長や幹部の方々が海外に商談に行かれる時の出張手続きなどをやっていました。そこは銀行と違って自由に動けるので、面白かったですね。アルジェリアのプラントの業務手続き手配業のお手伝いをしたり、企業の商談の手続きに一緒に行かしていただいたこともあります。海外のあちこちに行って、ワールドワイドに活動していました。一般の方々の旅行ではなく、官庁や大企業がお客様でしたので、人脈も半端なくできましたね。

浅野泰伸さん

玉谷ところが、海外から帰られたら、お父様が辞表を出されていたそうですが? その後、ご実家の会社で働かれたそうですね。

浅野そうなんです。海外から帰ってきたら、父親の要請で、父の製缶会社に入社することになりました。海外と日本を股にかけてのびのびとやっていたのが、いきなり籠の中に入れられて、最初はどうしようかと思いましたよ。私が引き継いで間もなく父親が他界し、その会社を何とかするために、かなり苦労しましたね。でもそこでの経験も、今の自分の仕事に大いに役立っています。

玉谷その社長職を、あっさり譲ってしまわれたとか?

浅野はい(笑)。会社がうまくいっていたので社長職は他の人に譲り、環境関係のボランティアの仕事を立ち上げました。大阪市の環境ISO取材記念フォーラムでも、大阪の民間代表としてパネラーとして発表させていただきました。太陽光や自然エネルギーの事について、海外からの客人もおまねきし、日本のトップの方々の前でお話しさせていただいたのですが、そうしたことなどを通してさらに人脈が広がっていきました。ボランティアは利害関係がないので、何でもしゃべれるんですよ。でも、「パパ、そろそろ働いてもらわなくちゃ困る」と嫁さんに言われましてね(笑)。そんな時に、玉谷師匠にお会いしたわけです。

人の心の奥に落ちているものを、教えてくれる師匠

玉谷私と一緒にやりたいということは、以前からおっしゃってくれていましたが、浅野さんのことでびっくりしたことがあるんですよね。私はいつも新幹線のぞみ号の朝6時23分発で出張に行くのですが、「私も一緒に行きます」っておっしゃるので「切符はないし、朝早いですよ」と言ったんですけど。ちゃんと浅野さん、その日は朝5時半ぐらいから新大阪の入口で待っておられましたよね。「どうやって来たんですか?」と聞いたら、「女房に送らせた」とおっしゃって。それから何度も一緒に新幹線に乗りましたけど、浅野さん、ただの一度として寝てられたことはないですよね。常に勉強を欠かさない姿勢に、私は感嘆しましたわ。「この人となら、一緒にやっていけるんじゃないか」と、その時思ったんですよ。

浅野玉谷さんは私にとって師匠ですからね。この人が師匠と決めたら、もう私の365日24時間の予定はあってないようなものです。すべての時間を師匠のために合わせますから、電車の時間などはわけないことです。たとえば「今からシンガポール経由でラスベガスに行くぞ」と言われたら、私は行きますよ。それくらいの気持ちで、玉谷さんに付いて行こうと思ってます。

玉谷

玉谷どうしてそこまでして、私に付いてこようと思ったんですか?

浅野和の精神ですね。宗教的な精神をすべて兼ね備えておられて、それをまるで息をしているように、自然にやってらっしゃるんです。今までいろいろな人とお付き合いしましたけど、こんな人は見たことがありません。本当にすごい人だと思って感動したのが、師匠と呼ばせていただいた理由です。人の心の奥に落ちているものを、教えてもらえる師匠です。

玉谷え? ほんまに? そんなん、いまだかつて誰にも言われたことないわ(笑)。まあそれはええけど、浅野さんがそこまで慕ってくださったんで、「そやったらもう、この名刺持ってやりますか?」と名刺を渡したんですよね。僕が以前所属していた会社の肩書と同じ肩書きを作って、ニコイチペアでやりましょうということになって。それで今動き出したところですが、名刺をお渡しした途端にもう、フル回転で動いてらっしゃる。

浅野そうですね(笑)。今ある時間をフルに使って全力で臨むのが、私のやり方です。

次のページへ >
ページトップへ

<今回の会談相手>

有限会社  スパーク
マーケティング本部長
浅野泰伸さん

大手都市銀行時代、旅行会社に出向し、多数の大手企業の渡航手続やインバウンド・アウトバウンド事業を経験。30代後半で父親の会社を引き継ぎ、製缶業の他、利権企業数社を経営。その間に培った人脈は各省庁トップクラス。またライフワークとして環境問題にも精通し、京都議定書が締結された第3回気候変動枠組条約締結国会議( 地球温暖化防止京都会議、COP3 )では民間代表としてパネラーにも選ばれた。玉谷代表と共同歩調で、コンサルティング活動に邁進中。

有限会社スパーク